ここにずっと書いていたように、マロは全身をガンに冒され、極度の貧血で、最後の2週間はふらふらでした。でも、生きようとする意志は強かったと思っていて、亡くなる前の日まで、ほんの少しではあっても自分の口でごはんを食べ、何度も途中で休憩しながらも自分で歩いてトイレに行きました。これはマロが亡くなる3日前、巣の前で疲れて座り込んでいたところに声をかけたら、私のそばまで歩いて来てくれた時の様子です。これがマロを撮影した最後の動画になりました。
これを撮った時は「闘病中のとあるひとコマ」でしかなかったので、特に感慨もなにもなかったのですが、今振り返ってこれを見ると、マロのふらふらな一歩一歩が、生きたい気持ちの表れのように思ってしまって、飼い主の勝手な思い込みかもしれないけどなんだか感動を覚えます。
いろんな方に、マロが逝ってしまって今度は私が大丈夫なのか?とご心配をいただきました。割と元気にやっていますので、大丈夫です。マロが病気と闘った2か月間は、そのまま私にとってはマロの死を受け入れるための準備期間だったように思います。そのせいか、自分でも意外なほどマロがいないことをすんなり消化できています。まだ寂しくはあるけど。そんな中、今日は同僚の方(通称パンダちゃん、男性、ハードコアな猫好き)から「これ、マロちゃんのために飾ってあげて~」と春っぽいお花をいただきました。猫って色を見分けられるのかどうか知らないけど、マロは黄色いオモチャが好きだったし、とてもマロに似合うアレンジメントです。パンダちゃん、ありがとう!
(華やか♪マロが喜びます)
マロちゃんには生命力の強さを本当に教えてもらった気がします。動画を拝見して、マロちゃんは改めて最後の最後まで頑張ってたんだなぁって、感動?いたしました。
返信削除魂とはなったけれど、今もベッドでのんびり毛繕いしてるのかなぁって感じます。
ごくらく奥さん様も、大丈夫とのことで、まだまだ寂しいとは思いますが、安心いたしました。
@おばけ*ねこさま:お気遣いありがとうございます。この動画、その時は何も考えずに撮ったんですが、いま思うと「撮っておいてよかった」と思います。元気なときの動画もたくさんあるので、そのうちちょこちょこアップしようと思ってます。
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